声優・上坂すみれから見る現代日本

 一昨年ぐらいから始まった(たぶん)個人的第三次アイマスブームは、AS組13人からミリオンライブの50人にその軸足を移し、
中の人をさかのぼりつつ、(主にTrySailの3人と伊藤美来さんのせいで)鷲崎健さんとかいう変なおじさんに漂着し、
そこから今更になってA&G NEXT GENERATION Lady Go!!とか聞いている事態を発生させるに至った。
ここでようやく学王ラジオを高森奈津美さんがうまく回せた理由がわかったが、これは別の話。
そこで別の意味で気になる存在として浮上したのが、上坂すみれさんである。
無論、今頃初めてその存在を知ったというわけではないものの、案外彼女を取り巻く状況というのは、
現代日本について考えるのにふさわしい題材なのではないかと思うのである。
 彼女が声優としては異様なレベルのソ連好きであり、その趣味を活かした話術、またはツイート、または声優としての方向性で、
多くのファンを魅了しているのは、ある程度の声優ファンなら常識レベルであろう。
だからといって彼女がソ連が国家の礎とした社会主義共産主義を内面化しているようには思えないし、
アイドル声優として、ファンの諸君から「搾取」(マルクス主義の用法とは大きく異なるが!)している現状は抜けようがない。
そこで、彼女のソ連好きなど所詮「共産趣味」に留まり、彼女もまた自身がトークの部品として使う「資本主義」の一部に変わりないのだと、
例えば一般の声優ファンや、彼女のファンに断言してみると、どういう反応があるだろうか。
愚考する限り、大抵は「そんなことぐらいわかってて楽しんでいる」というような反応が帰ってくるように思われる。
彼女の熱心なファンならば、「それがどうした」と言わんばかりの返答が帰ってくるかもしれない。
実際彼女はインタビューで、芸能活動の政治性を否定し、ある種の「ごっこ遊び」として捉えている、といったような回答もしている。
それを知らずに、ツイッターやニコニコで彼女の「革命的ブロードウェイ主義者同盟」(以下「革ブロ」)がもてはやされていると聞くと、
上坂すみれみたいな『偽物』を崇めて喜んでいるオタクの姿を見て公安警察はほくそ笑んでいるよ」などと短絡的に考えてしまうのだが、
この考えは、そもそもオタクたちが「本物」の「共産主義者」など必要としていないことを見落としている。
結局、彼らのほとんどが求めているのは外面だけが整った「本物」らしさであって、内面を伴わない。
上坂さんの芸能活動が実際には資本主義の構造を呈していることは至極当然なことでしかない。
内面を伴わないから、「団結」と「反抑圧」を訴えて一見マルクス主義的体裁を整えた「革ブロ」の決起集会を、
2月11日の「建国記念の日」に行っても、主催者から参加者に至るまで誰も何も違和感を覚えないし、
むしろそんな日にイベントを挙行することについて「愛すべきオタクの国」日本の「伝統」に合わせた妙案である、
というような気分まで覚えているというのが実情だろう。彼らは年に2回のコミケを中心とした各イベントで、
常に規律化していくことを内外から求められ、また「アニメ最先進国」クール・ジャパンに生きる誇りを内面化していく。
彼らは立派な日本のナショナリズムの尖兵である、というのが僕の持論なのだが、体系的にまとめたことはこれまでなかった。
共産趣味」でなく、ナショナリズムを批判的に捉える左の方のオタクというのは日本にどれだけ生息しているんだろうか?
 ところで、一時期日本共産党がネット上でもてはやされ、党員が増加したとか、赤旗の購読者が増えたとかいう報道があったが、
これも「共産趣味」の延長線上にあったムーブメントだったのではないか。
共産趣味」という概念は、一見左翼との接近性があるように見せかけて、資本主義の側から社会主義共産主義を観察するあり方である。
また「共産趣味」によって「共産主義」を理解するというあり方は、ネットに氾濫するゲイポルノとそれに関する文化に接して、
自分がLGBTに理解があるように錯覚するのと同様のあり方である。それは所詮他文化に対するオリエンタリズムでしかない。
そして同様の構造はそこかしこに見られるものであることを、僕たちは常に自戒を込めて現代を生きていかなければならないだろう。