僕が艦これを遊べない理由についての覚書

概要
1. 「おはなばたけからかんがえたかんこれむーぶめんと」といった文章である.
2. 艦これ批判とまでは行かずとも、艦これというゲームを遊べない感情を言語化しようと試みたものである.
3. よってこれは自己満足の産物であり、何かの間違いで目を通したという読者に何かしらの押し付けを企図しているつもりで書いていない.
4. だが、押し付けが内在している可能性は否定出来ない.
5. プレイヤーの皆さまにおかれましては、引き続き艦これをお楽しみください.


以下、明示しない限り出典はニコニコ大百科またはWikipediaから.


艦隊これくしょん
今をときめくこのブラウザゲームが運営を開始したのは今年(2013年)の4月23日のことだそうである.
僕が艦隊これくしょん(以下艦これ)を知ったのは、ニコニコ動画のとある艦これ動画シリーズが始まった直後のことで、どうやら6月14日から6月17日の間のことらしい.
今や13を数えるらしいサーバー(鎮守府) 増設の歴史を振り返ると、当時は横須賀のみが稼働していた頃に当たるそうで、
その時始めていれば結構な古参だったということになるのだろうか(既に新規受け入れには制限がかかっていた覚えはあるが).
けれどもその時、僕は艦これを始めることはなかった.
しかしその後、このゲームはネット上で拡散を続け、今や僕のtwitterのタイムライン上で話題を目にしない日がないほどに拡大した.
艦これが昨今の粗製乱造されるソーシャルゲームと一線を画する長所を保持しているということは、既にあらゆるところで語られ尽くされたと思われるが、
僕がその長所に対して大いに賛同できるところがあったのは確かである.
しかし、結局艦これを始めることなく現在にまで至っているのには何かしらの理由があるはずである.
実際のところその理由の一端は、艦これを始めることを肯んじなかった瞬間には思い至っていた.
しかし、その理由が稚拙な論理性すら持たない感情的な反応にすぎないのではないかという思いもあり、
twitterという愚痴ツール(最近のはた迷惑な運用法) で「艦これ(笑)」のようなツイートをすることもまた肯定できなかった.
この文章は、当初覚えたような「感情的な反応」に、その後「なぜ艦これをできないのか」について考えていったことによってなんとか肉付けをする形で、
「艦これムーブメント」なるものに対する一つの考察を試みたものである.


先ほど言及した、艦これが持つ「昨今の粗製乱造されるソーシャルゲームと一線を画する長所」とやらを、一度まとめておかないことには話にならないという感じがする.
個人的に把握していることに加えて「艦これ 長所」というそのままの検索キーワードで出てきたまとめブログの記事や、
アンサイクロペディアの記事を参照した中からいくつか抽出する.
1. 艦これは「厳密なる意味におけるソーシャルゲーム」ではない
2. 艦これはゲームとしてもこれまでのソーシャルゲームとは方向性が分かたれている
艦これはゲームとしては完全に1人用のゲームである.比較対象となるパズドラモバマスのような、
他プレイヤーをフレンドとして囲って助っ人として呼んだり、徒党を組んでイベントに挑むといったことはない.
また、艦これは無課金(完全無課金を貫いたらどうかは分からないが) でも手に入らないレアカード(=艦娘)がない(ゆえに運ゲーと呼ばれることもある).
3. 艦これはアイテム課金制のゲームであるが、ガンホーが標榜した「ポカポカ運営」のような良心的なものである
4. 原作なしのブラウザゲームにもかかわらずメディアミックスが多い
艦これが良心的なアイテム課金制で済んでいるのはメディアミックスによる売上によって回収することを見込んで作られたからであるということは有名な話である.
(「艦これ メディアミックス 回収」などと検索してみれば容易に確認が取れる)
5. 出てくる女の子がかわいい(しかも「有名声優」が声を当てたキャラもいる)
かわいい女の子の絵を描けるイラストレーターを抱えることは昨今のゲーム業界において鍵となっていることは疑いようがなく、
また声優にも固定ファンがいるから、声を当てたキャラクターを贔屓にしてゲームを始めてくれるプレイヤーも一定数存在する.
6. その女の子たちは戦艦などを擬人化されたものである.海にはロマンがある
7. その戦艦などは旧帝国海軍の艦艇をモチーフにしている.帝国海軍にはもちろんロマンがある
擬人化はオタク文化、ひいては日本文化を語る上で切っても切れないものであるとされている.ロマンチシズムもまた、ゲームにとっては重要な一要素になる.
8. 小破、中破、大破、轟沈などの言葉遣いがこころを抉る
軍隊用語もまたロマンがある.また、傷ついた少女というのは一種のフェティシズムにつながる.
9. 海軍艦や第二次世界大戦に興味が出た、詳しくなった、本を買ってみた
過去の歴史を知ることは良いことである、ということを僕たちは教えられてきている.


少しロマンに説明を頼りすぎている感があるが、艦これの長所の大体を押さえることはできたと思われる.ここからが私見が入ってくる.
僕は1から5までの長所に対して異論はない.
友人が少ないことを自負している身としてはフレンド要素のあるゲームはできるだけご遠慮したいし、
資金力に乏しい学生の身としても、リアルマネーによるパワープレーは避けたい(故に同じく良心的なアイテム課金制のゲームに飛びつく癖がある).
また、ゲームを広告塔と見立て、メディアミックスを重視するやり方は、オンラインゲームという性質上の「データの金を払う」という未だに普遍的な理解を得難い手法に比べて、
本やグッズ、コンシューマ向けゲームなど(アニメ化すれば光学ディスクも) 実物として残るものによって投資を回収するという手法であり、賛同も得られやすいだろう.
やはりかわいい女の子には目が向いてしまうし、声優でファンを釣るというやり方も批判できる立場にいない.
6からが問題なのである.短所は長所の裏返し、という観念があるが、今回についても同じことは言えると思いたい.
なぜなら、上の長所の中に僕が艦これを始めなかった理由、プレイしていない理由が含まれているからである.
既に察しがつくだろうけれども、僕が艦これを知ったにも関わらず始めなかった当初の最大の理由は、
艦これというゲームを構成する不可分の要素である、「旧海軍の戦艦を擬人化した少女を戦闘させて勝利する」という部分である.
この理由を、人によっては「なんだまた脳みそお花畑のブサヨ脳か、付き合ってられん」と思われると思うし、
自分でもこの理由はいくらなんでも条件反射的で、この理由のままでは上記の誹りを逃れ得ないことは自覚があった.
だからこそ、最初に書いたように艦これをただ単に冷笑する気にはなれなかったし、
日に日にプレイヤーを拡大させていく現象や、艦これの何たるかを語るツイートなどを見るにつれて、そういうわけにもいかなくなった.
といったところでもう少し実体的に「艦これ批判」の呼び声に耐えうるものを考えたいとして考えたのが以下の事になるのだが、
正直なところ「お花畑」の外に出ていることは自負しきれない.一番最初に書いた「おはなばたけからかんがえた〜」というのはそういうことである.


そもそも、「旧海軍の戦艦を擬人化した少女を戦闘させて勝利する」という部分のどこに問題が含まれているのか、ということから考えたい.
この文章は三つに分けられる.すなわち、「旧海軍の戦艦を」「擬人化した少女を」「戦闘させて勝利する」という三つである.
このうちから「擬人化した少女」を飛ばして、「旧海軍の戦艦を戦闘させて勝利する」としたとき、
艦これは『提督の決断』や『ハーツ・オブ・アイアン』の海戦パートのような戦術級・戦略級戦争シミュレーションゲームにすぎない.
しかも、後者二つが第二次世界大戦期のシミュレーションを試みているのに対し、
艦これで倒すべき相手である「提督の艦隊の敵」とは「軍艦や輸送艦などで構成される正体不明の怪物の群れ」(Wikipedia)であり、
英米海軍(あるいは独伊その他の国の海軍)ですらないわけである.
こうした戦争シミュレーションゲームに対して、僕はそこまでの忌避感情を持っていない.
(もっとも、人をデータとしてマクロに扱ったり、ナショナリズム的特質という面からの歴史を改変して楽しむという「作法」といった問題性は一切存在しないとは言えないのだが.)
また物や人の擬人化(ここでは特に女性化になるが) に関しても、既に述べたようにあらゆるところで行われている(チーバくんは可愛いがあれだって似たようなものだ).
細かく分けて「擬人化した少女を戦闘させ(て勝利す) る」ということに関しても既に先鞭がつけられている.
では「女性を戦わせる」ということはどうだろうか.これについてはフェミニズムの観点から一家言があるのかもしれないが、
現在のオタク文化の中ではそのような媒体は氾濫していると言って良い状態であり、そこに問題があるとしても、艦これ一つに背負わせるべき問題でもない.
「旧海軍の戦艦を擬人化した少女を戦闘させて勝利する」という艦これの要素をぶつ切りにすると、
個人的にはこんな長い記事まで書いて忌避するようなものはない、ということになるのだが、このぶつ切りにした三要素を一つに収め、
艦隊これくしょん」というゲームに集約した時、それらは突然化学変化を起こしたように僕からは禍々しいものに見えてしまうようなのだ.


では、その禍々しいものの本質とは何か.
思うに、まず「艦これはストライクウィッチーズの戦艦版ではない」というところが大きいように思われる.
「エースパイロット(一部は戦闘機)を擬人化した少女が戦闘して勝利する」というストライクウィッチーズの構造と、
「旧海軍の戦艦を擬人化した少女を戦闘させて勝利する」という艦これの構造とはある点において決定的な違いがあるように思われる.
つまり「国際性」である.
コンテンツとして拡大し、「ワールドウィッチーズ」と称し第二次世界大戦期に活躍したあらゆる国のあらゆるパイロットを女性化するようになった今も、
「501統合戦闘航空団」のみで展開されたアニメ第1期とその以前も、ストライクウィッチーズが日本(扶桑) だけで完結したことはなかった.
もちろんたびたび散見される「扶桑のウィッチがケリをつける展開」や、「民族的特徴を記号化したキャラクター」というような、
エスノセントリズムやネイション・エスニシティの短絡的な当てはめ、帝国主義といった問題を常に抱えているとはいえ、
擬人化された少女たちは世界に飛び出し、他国のウィッチと国際的に協力(時に対立) しながら、ネウロイという「正体不明の怪物」と戦っているのである.
艦これにはそれがない.
艦これのゲームの中に実体が存在するのは擬人化=少女化された旧海軍の戦艦と「正体不明の怪物の群れ」だけである(米英は概念的に存在する).
提督であるプレイヤー達は、アップデートが終わるか、艦これに飽きたなどの理由で「ゲームクリア」しない限りにおいて、
国際的な協力を「実戦」の中で感じることなく、かつての帝国海軍のモチーフとともに、恐らくは「人類のため」に終わらない戦いを続けることになる.
これは「国際性が極めて薄いエスノセントリズム」であり、これこそ僕が艦これに対して覚える禍々しいものの正体の一つであると考えている.


この「国際性が極めて薄いエスノセントリズム」に「擬人化」が加えられることで禍々しさが増幅されているように思えてならない.
この擬人化という問題も、それ一つでは一見無害なものの、艦これという装置に収められた時に、そこに内在している禍々しさを発揮するように思われる.
上で擬人化(女性化) は「オタク文化、ひいては日本文化を語る上で切っても切れない」と述べたのだが、ここにこそ問題が含まれている.
艦これのプレイヤーは、艦娘というアニメーション的な美少女像を是認する人々であることから、
オタクを自認する人々が多いとしても差し支えないだろう(僕も含めて) .
そのような人々が艦これを初めて見て思ったのは、「今度は」戦艦の擬人化か、ということではないだろうか.
僕たちオタクは、萌え擬人化が次々生み出される中で、擬人化にすっかり慣れてしまっているのである.
ところで、インターネットでその手のサイトを巡回していれば、何かしら自分の価値観を超越するような現象を生み出した日本のネットユーザーに対して、
「もうやだこの国」といった発言が繰り返されているのを目にしたことがあるかもしれない.
こういったたぐいの発言や感情は「もうやだ」というフレーズであっても決してそのままの意味で捉えられることはなく、
むしろ裏返しであり、「もっとやれ」というたぐいの賞賛であることを理解してもらうこともできるだろう.
短絡的にはイギリス人が「日本人はイッちゃってるよ あいつら未来に生きてんな」と言っている画像を見たことがあるかもしれない.
艦これを初めて見た時に覚えた、「今度は」戦艦の擬人化か、という反応は、
擬人化という「HENTAI」的な日本人の創造性を揶揄を込めて賞賛するだけにとどまらず、
それを受容する土台のある自分を含むオタクたちとその文化、ひいては日本文化そのものを世界に冠たるものとして賞賛する行為にほかならないのではないか.
それはあたかも、3/11という未曾有の経験によってさらに増幅された、「日本人はこんなに地震慣れしている」という揶揄を含んだ妙な自慢のような、
いわば「裏返しのナショナリズム」とでも形容できるものなのではないか.
艦隊これくしょんというゲームには、「国際性が極めて薄いエスノセントリズム」と「裏返しのナショナリズム」が混合した、
ナショナリズムのカクテル」とでも言うべき要素が含まれているために、
ナショナリズムに批判的な観点からは、どうしても受け入れることができないということが、僕が艦これを遊べない理由なのではなかろうか.


表題の問題はとりあえず結論を出したところで、疑問点として追加で書き留めておきたいことがある.
上で述べた艦これ批判のようなものは、本文中の艦これの長所6及び7から着想を得たものである.
これは自分で元々考えていたことだったので、このままでは結局一人よがりなものとならざるを得ないように思う.
よって、Webから得た長所であり、積み残している8及び9についても触れなければならないだろう.
8と9の長所を記述した部分を再掲する.解説がお座なりなのは自分が考慮していなかったためだったのである.
「8. 小破、中破、大破、轟沈などの言葉遣いがこころを抉る
 軍隊用語もまたロマンがある.また、傷ついた少女というのは一種のフェティシズムにつながる.
 9. 海軍艦や第二次世界大戦に興味が出た、詳しくなった、本を買ってみた
 過去の歴史を知ることは良いことである、ということを僕たちは教えられてきている.」
8.
軍隊用語というのはそこまで問題ではない.ここで問題だと思うのは傷ついた少女へのフェティシズムである.
傷ついた少女、というフレーズはとりあえず綾波レイを想起するぐらいには確かなフェティシズムの対象であるのだが、
艦これにおいて、小破、中破、大破、轟沈する主体は少女たちである.
戦闘するのだから怪我することも当然ありえる話なのだから、表現としては自然である、とは思えるのだが、
戦闘によって加虐された少女を何らかの形で描写して楽しむという、艦これだけに決して留まらないオタクたちの営みを、
様々な視点から見た時、そこに果たして問題性がないと言えるのであろうか.
これは突き詰めると漫画等における児童ポルノ規制の問題を含むことになって個人的には答えの出しにくい問題につながる.
個人としては政府に規制されるのは嫌なのだが、現在の行き過ぎた観のある二次ロリエロ画像等々に問題がないとも思えない.
9.
これまで歴史に興味がなかった層が艦これに触れることで、戦争という凄惨な一面を持つ事象に興味を持つ事自体はいいのだが、
それらの人々の受け皿として今の歴史学が耐えうるかということを考えると、首を傾げる以外にすることがない.
本文にしても、第二次世界大戦・太平洋戦争を国と国・ネイションとネイションの衝突として固定的に捉えている人がいるとして、
その人に対して艦これのナショナリズムのルシがパージでコクーンなどと言ったところで、果たして含意が通じるのだろうか.
先に挙げた艦これまとめブログの中に、「別に戦争を美化したり正当化するつもりもないが靖国に参拝したくなってきた」という一文があったのだが、
この人を以って「普通の日本人」とすることには無理があることは百も承知ながらも、
その人の中で靖国神社が戦争慰霊にとって不可分であるかのように自明的に語られるところにおいて、
靖国神社という施設自体がはらんでいる問題などという事柄が、どれだけ説得力を持つのだろうか.


雑感
・今も艦これはときめいているはずだ.
・「(行き過ぎた) ナショナリズム批判論から見た艦これムーブメント」って感じ.
・辻説法なのに「ナショナリズムなどの事象が近代以降に構築されたという立場が生まれてから、現在の歴史学では批判が加えられて〜」みたいな記述が足りなすぎるよね
・「国際性が極めて薄いエスノセントリズム」の滑ってる感とコレジャナイ感
・Jがつく掲示板で艦これアンチスレが立ち始めたのを見て背中を押される感じで言語化したのが実情.
・男尊女卑・女尊男卑論とかフェミニズムの論調をわかっていないのが悔しい.
・頭が悪くてこの程度の文章しか書けないのが悔しい.
ポリティカルコンパスの結果がリベラル左派.右旋回に怯える日々.
・にゃんこ大戦争おもすれー(^q^)とか書くと説得力がぶち壊しでいい感じ