ヨガウェアと完結記念の『ざわわん』評

3週間に1回筆を執ってはアイマスのことばかり書いているが、今日も懲りずにやる。


アイマス2になってから営業やレッスンの際に着る衣装を選択できるようになっているが、レッスン着はひと通り試した中ではヨガウェアに妙なこだわりがあった。
その理由としてまず挙げられたのは「レッスン着としてシンプルであり、なおかつ統一感がある」があるからである。
シンプルという点ではストリートホッパーはごちゃごちゃしすぎているし、トレーニングウェアは個人の着こなしのおかげで(せいで)統一感がない気がするのである。
統一感を気にするのは、一歩間違えばはみ出した人間を排除にかかるような禁煙運動や環境運動にも連なる思想に親和性があるのかもしれないし、
または、その統一感をもって小中高時代の体育その他のカリキュラムを思い起こして原風景的なノスタルジーに浸っているのかもしれない(生徒たちにもそれぞれ着こなしはあるはずなのだが?)。
そもそも3つの衣装の中ではヨガウェアが一番薄着なので、特定の曲を踊らせることによってチラリズムが楽しめるというフェティシズム的な選択であるのかもしれない。
さて、僕はここで中高生のエロ本的なアイマス2の楽しみ方みたいな話をしたいのではなく、ヨガウェアという選択に際してもう一つ大きな影響を与えた媒体がある可能性を感じたためである。
その媒体というのがこの程完結して最終巻が発売されたアイマス2のコミカライズ『アイドルマスター2 the world is all one!!』(以下『ざわわん』)なのである。
『ざわわん』のレッスン着こそがヨガウェアだったのである。
ヨガウェアを着ていたシーンとして個人的に印象的だったのが、漫画内での最初のレッスンの直前に雪歩が着替えていて「しゃらん」としているシーンであって、
読み始めた当初はこれがヨガウェアだとか僕は全くわかっていなかったのだが、そのシーンに妙な可愛さを覚えたのである。
この辺がもしかしたら僕がヨガウェアにこだわるもうひとつの理由なのかもしれない。


さてこの『ざわわん』なのだが、アイマス2の世界を端的に表したコミカライズ、いやメディアミックスとしては、アニメ版アイドルマスター(以下アニマス)よりも素晴らしい。
そもそもアニマスは(現在のものとは異なる)放映開始当初のアイドルマスター全体の世界を表現・紹介したものとして素晴らしいものであるのは間違いないが、アイマス2自体の世界を表現したものではない。
それに比べるとざわわんはアイマス2のシステム構造、そして竜宮小町とそれに伴う律子のプロデューサー化、Jupiterという各々のプロデューサーにとっては負の意味合いも合わせ持つ要素を良化させ、
ゲームでは最終的には噛ませ犬とも化してしまう彼女ないし彼らを劇中の要素として見事に活かしていると言えよう。
アイマス2はユニット単位でのプロデュースになるため、それをコミカライズするということはプロデュース対象アイドルのみがクローズアップされるということが容易に考えられるが、
前述した竜宮やJupiterだけでなく、他のアイドルたち(そして小鳥や社長も!)との関わりを最終5巻までもきっちりと描ききり、アニマスとは違った形の「765プロのみんなで」という姿が描写されている。
また、プロデューサーが当初は961プロからやってきたスパイであったという設定は、アイドルマスターという世界を語る上では欠かせないニコニコ動画との関係、
端的に言ってしまえば「ノベマスが漫画になったかのような」気分を(ノベマスの空気を知っていればではあるが)味あわせてもくれる。
『ざわわん』は劇場版でアイドルマスターの世界にやってきたプロデューサーや、アイマス2をきっかけにしてアイマスから離れ、アニマスや劇場版、『ワンフォーオール』から再び、
といったようなプロデューサーが、結局アイマス2はどんなゲームだったのかが気になるのであれば、特におすすめできるし、
そもそもアイマスが好きだというあらゆる人に諸手を上げておすすめしたい最高級のコミカライズである。
モバマスだけのファンであっても、一度触れてみて(これから旧家になるとしても)「本家本元」の空気を一度味わってみるのも良いと思う。

アイドルマスターの終焉とその記念碑

PS4で出るという発表のあった「THE IDOLM@STER 3」(以下アイマス3)がどうなるか、ということが、
アイドルマスター シンデレラガールズ」(以下シンデレラ)のアニメ化が発表されてからのここ数日来自分の中で大きな問題となっている。
他にやることがあるはずなのだが。
ともかく、これについて考えていく中で、悲観的に見ればアイドルマスターというコンテンツの終焉を射程に入れて考える必要性が生じているように感じ始めた。
以下で描かれる妄想はおそらく最も悪いシナリオであると信じたい。


このシナリオにおいて、アニメ版シンデレラとアイマス3は不可分の位置にある。
というのも、アイマス3でプロデュースできるアイドルは少なくとも半分(もしくはそれ以上)がシンデレラのメンバーになるのではないかと考えているためだ。
残り半分(程度)は「アイドルマスター ミリオンライブ!」(以下ミリオン)のメンバーが占めることになる。
アーケードからアニメ、ワンフォーオールまで主軸を張り続けたAS組は大体(もしくは全員)がディアリースターズにおける立ち位置に落ち着くことになる。
すなわち、アニメ版シンデレラはモバゲー版への新規及び復帰促進であるとともに、同時期に情報公開を開始するアイマス3の目玉となるアイドルの見本市でもあるというわけである。
と、この総取り替えをした時点でAS組原理主義者は追従を拒否するか、転向を余儀なくされる。
追従を拒否する場合はアイマス自体を見限るか、前年5月に出ているワンフォーオールに幽閉されるかを選ぶことにもなる。
また、シンデレラやミリオンのメンバーも、そのすべてがプロデュースできるような巨大仕様になるはずもなく、篩分けされた中から選ばれるにすぎない。
しかし、このアイマス2もびっくりのリストラに順応させるための装置はすでに準備されていた。
言わずと知れたシンデレラの総選挙である。これの存在によって、シンデレラというゲームの場が既に将来に向けての生存競争であることを理解していたプロデューサー諸氏は追従を許容した。
また、プロデュース可能なアイドルが全くの新顔でなかったことで、最大公約数的なアイマスであるという受け止められ方がされたのである。
さて、ここで問題となったのがアニメ版シンデレラであった。
上記路線をとった場合、アイマス3というメインストリームに乗ることの出来なかったアイドルのファンにとっては、
アニメ版シンデレラこそ贔屓キャラが動いているところを見る(おそらく)残り少ない機会となるはずなのだが、
上で書いたように、「アイマス3の見本市」という都合上、特定キャラクターの出番偏重を起こしてしまったのである。
その結果、アニメ版シンデレラは後にアイマスを語るにおいて黒歴史であるとされ・・・


以下を詳細に書くのは疲れるのでこのぐらいにしたい。
このような感じでアニメ版シンデレラがコケた場合アイマス3ごとコケてしまって、それがコンテンツ崩壊につながるんじゃないのかという話。
これ検索すればネットのどこかには書いて有りそうな話だな。
コンテンツ崩壊はともかく、上のシナリオはある程度なぞられるんじゃないかなあとは考えていて、
シンデレラのキャラはアニメ化に合わせて出しそうだし、ミリオンのシアター組も出す可能性は高いような気がしてならない。
ワンフォーオールをこの時期に出すのは将来AS組原理主義者に選択を迫るためというのは2chとはいえ人の意見の受け売りだし、これに関しては妄想だとは思っていない。
その場合誰をプロデュースできるんだろうというのも楽しみではあって、
「デレラジ・ミリラジのパーソナリティの担当キャラ」「キービジュアルに出ている」「総選挙上位」という辺りのアイドルは有力候補でしょう。
逆に「有名声優の担当キャラ」は不利だとか、「高校生の亜美真美」とか「765プロに入った場合の日高愛」(担当は有名声優だが!)とか・・・。
心理的には「看取ってやるから何でも来やがれ」ということか。これが制作側への不信感であるというならそうなのかもしれない。


あとがき
モデルケースとしては「ギャラクシーエンジェる〜ん」と「ギャラクシーエンジェルII」である。
GA2には一作目だけ手を出してみたがヒロイン陣云々よりもゲームシステムが一新されてしまって大味になってしまったのが特に残念で、2周目、2作目には意識が回らなかった。
アイマス3はゲームシステムもモバゲー・グリー寄りになるという可能性も、内容はまだ何もわからないんだから無きにしもあらず。
GAの場合と違うのは全くの新キャラでないということで、これによってGAのケースがそのまま適用されることを防ぐことができるだろう。
あらゆるプロデューサーを切り捨てないアイマス3はおそらく存在し得ず、だからと言ってAS組を全て残すのでは、(一部の)声優陣の年齢を考えると・・・。
まあ、元々のモデルとか言われるモー娘。も14周年らしいし、それに追いつき追い越せでやっていけるといいよね、きっと。
ちょっと良くないことがあったのでむしゃくしゃして書いた。まとまっていない。後悔はしていない。

自画自賛

烏丸ちとせとギャラクシーツインスター隊」という文章を4年も前に書いた.


粗いところがいくつかあるが、アニメ版ちとせの性格を完全に忌避して黒歴史扱いするのを避け、
なぜちとせの性格がおかしいと言われるのだろう、とか、なんでちとせはこうなっちゃったんだろう、
と感じた第4期視聴者に対する回答を提示できているといえるのではないか.


これ、結構名文だと思う.
とてつもなくニッチの問題なのを除けば.
前回の謎劇場版アイマス論とは比べものにならないね!

カードゲーム

ソーシャルゲームは怖いとか何とか言って様々なソシャゲを敬遠してきたが、
ついに時代の潮流のようなものには勝てず、いくつかをお金を使わずやってみた.


そこで思ったのは「なぜ課金ガチャは1回3000円もするのか」ということであった.
ガチャというのはつまりカードを10枚綴りで買ってくるということを指すのだから、
世のカードゲームの1パックぐらいの金額が適正なのではないか、などと思った.
結論からすると大きな誤謬なのだが、思うこと自体は自由であろう.
しかし、よくよく考えると課金ガチャはカードのレアリティが一定以上保証されている.
つまり世のカードゲームの1パック辺りにレアが1枚、ノーマルが10枚程度入っていることから考えると、
カードを10パック買ってきてノーマルを全部捨て(実際データ的に邪魔になることも多いし)、
レアだけを集めてきただけに等しいのだ、という結論に達した.
なるほど適正金額ではないか.
カードゲームというのは随分とお金のかかる遊戯なのであった.

追補

二次創作の百合CPはAKBの恋愛禁止の裏返しだとか.
しかしこれはアイマスに留まらない問題であった.
ふと思ったのだが、アダルトゲームのヒロインに処女性を求めるのは、ゲームの目的が処女性を踏みにじるものであると考えると自己矛盾を起こしている感もしたが、そんなこともなかった.
処女性を感情移入→同一視の対象たる主人公に踏みにじらせるのだから、征服感を味わえるのはユーザーも同じ、ということになるのだが.
言いたいことは大体言ってみたが、統一性のないとりとめのない記事はあまり見返したくないのでこのまま.